
前哨戦
ビュゥゥゥゥゥッン――ビュゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!
……到着。ここで良かったかな。
ただいま高度300メートル。私は今、宙に浮いている。漆黒の夜闇の下。凄く強い風がびゅんびゅん吹いている。私の長い髪も、びゅんびゅんなびいている。
見上げれば夜空。星は見えない、なぜなら――
見下ろせばそこは都会の真っ只中、繁華街。ビル、ビル、ビル、高層ビルばっかり。そこから漏れ出る無数の光せいで、本来なら星が瞬くはずの夜空は真っ暗なだけ。星なんて見えやしない。私、結構星好きなのに。
……まぁ、こういうところでやるのも一興だとは思うけどね。
眼下には他よりも殊更(ことさら)に高いビル。その下では、ビルから少し離れて囲うようにロープが張ってあって、ロープの後ろにはたくさんの人が集まっていて、がやがやと騒々しい。でも詳しいことはさすがに高度300メートルからだとただの点にしか見えなくて、わからない。
目を凝らす……
地面が、近くなっていく……。人が、大きくなっていく……、徐々に……徐々に……
……よし。
人の顔が判別できるくらいにはなった。
ほとんど野次馬と報道陣ばっかりだけど……
私は目的の人物を探して地面を見回す。
……あ、いたいた。
目的の人物――今度の作戦の総司令。今度って言ってもいつもこの人だけど。堅物の中年おじさんだ。
彼はロープの前に停められた黒塗りの車に寄りかかり、落ち着きなく時計を覗いたりビルを見上げたりしている。
きっと私が来るのが遅い、とか思っているんだろうな。
私は、彼に、自らの来訪を告げる。
『来たわよ』
「!?」
……あ、総司令驚いちゃった。
総司令の頭に、直接、念を送っちゃったんだ。テレパシーってやつかな。一応無線機は渡されているのだけど、ついつい、ね。
「っ……。遅いぞ。お前なら一秒と経たずに来れるだろう。人命がかかっているのだぞ。それと無線機を使えと言っている。その……テラパシーはいまいち好かん。頭が痛む」
――傍から見れば彼は独り言を言っているように見えるだろう。でも距離にして300メートルも隔てていようと、彼の言葉は私には十分に聞こえている。
『だっておめかしとかしてたら時間かかるでしょ。普段着で行くわけにもいかないし。あと無線機なんかよりもテレパシーの方が断然に使いなれているんだもの』
「……ちっ、まぁいい。
それで今回だが……わかるな。大手企業の本社ビルだ。人質の詳細は不明、立てこもっている犯人グループの人数も不明だ。ただし銃器を所持しているらしい。既に人質の一人が負傷しているとのことだ。
……一刻を争う。
方法は、任せる。人質の無事は最優先だ。犯人もできるなら殺すな……いや、お前のことだ、わかってはいるが。他の建物には手を出すな。それと、地下二階と地下三階は無傷にしておいて欲しい、とのことだ。
……それ以外は好きにしてくれ」
『いろいろと注文多いわね。まぁ、それで手を打ってあげるわ』
「っ……頼むぞ」
『はいはい』
さてと連絡もとったし、そろそろ始めるかな。
眼下には、巨大な、巨大な、ビル。大量の窓、そこには輝くガラス、中にも物がいっぱい。
いいんじゃない……いいんじゃない……
ビュゥッンビュゥッンビュゥゥゥゥゥッン!!
風が、唸る。
力が、沸いてくる。
体の底から、力が湧き出して来る……
力が、体中(からだじゅう)で、沸きあがり、暴れ狂って……――
もう……駄目だ……
「……ははっ……きゃははは……――
きゃはははははははははは!!」
唐突に、私は、大声で、笑い、叫び、笑い叫んでいた。ヒステリックに、狂ったように。
同時、私の背から巨大な翼が生え出る。こうもりのような、真っ黒で、気持ちの悪い翼。
巨大で、そして鮮やかで、夜空をバックにしようともそこに紛(まぎ)れることのない、漆黒の翼……
それは、きっと下にいる人達にもはっきりと見えている。
「……あぁっ!悪魔だ!悪魔が来たぁ!!」
「え、は、早く助けて!!あっちよあっち!あのビルよ!」
「悪魔ぁぁぁ!!いけぇぇぇ!!」
……ほら、みんな上空の私に気付いた。長い金髪と、漆黒の翼をなびかせ宙に浮遊する――
悪魔、の私を……
彼らの声援に、
「きゃはははははははははははははは!!」
一層狂った笑い声で私は応える。
……力が……高まってきた……
「な、何事だ!!」
外の喧騒に気が付いたのか、ビルの窓から一人の男が顔を覗かせた。恐らく犯人グループの一人だ。
しばらくそいつは外を見回して、ふと上空に目を向けて、私を見つけて、そして、目が合った。
瞬間、私はそいつに向かってにやりと笑ってやった。
「……ひ、ひぃぃぃぃ!」
途端、そいつは驚愕と恐怖に顔を歪ませて、嗚咽(おえつ)とともに窓から顔を引っ込めた。
そして中で言う。声を落としいるつもりだろうけど、私には丸聞こえだ。
「お、おい!悪魔がいる……悪魔がいるぞ!」
「そ、そんな馬鹿な!たかが人質を数人とって立てこもっただけだぞ!会社から身代金をとるだけじゃねぇか!」
「……だから発砲はするなって言ったんだよ……」
「うるせぇ!あいつが抵抗するからだ!だけど殺してはいねぇだろ……くそぅ……」
難儀みたい。早くも仲間割れを始めちゃった。かといって許してやるつもりはないけどね。
もう力は抑えられないわ……
「きゃはっ……きゃはははははははははは!!」
「ひぃぃぃぃぃ!」
もう一度高らかに笑い、彼らを慄(おのの)かせてやる。
……まずは人質の救出かな。
ビル内を、透視する。人質は……あそこと、あそこらへん一帯と、あそこ。あの人は怪我しているみたいだから優しく扱ってあげないとね。
私は力を練り上げる。自らが思うがままの形に。
無数の都会の光が、私を照らしている。当然、無数の影が私から生まれている。それを――
一挙に一箇所に集める。背後の高層ビルに――
私の巨大な影が映った。巨大な、私の影が、現れた。
ビルよりも高い、真っ黒な、私の――悪魔の、影。
それは、まるで、漆黒の巨人。
「な……そ、そんな……馬鹿な……」
「ひ、ひぃ、ひぃぃぃぃぃ!」
驚き慄く犯人グループ。ついでにきっと人質も……怖がってる。
私はそれを感じて高揚して笑い叫び、力を更に漲(みなぎ)らせ、その巨大な私の影を――
「きゃはははははははははは!!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃ!!」
一気にビルに覆いかぶさせた。あっという間にビル全体を包み込む。
瞬間、影はどろぉっと黒い液体と化し、あらゆる窓や隙間からビル内のいたるところに濁流の如(ごと)く流れ込む。
「ひぃぃぃぃぃ!」「うわぁぁぁぁぁ!」
恐怖による、大量の悲鳴。犯人グループのと、きっと人質のも。
濁流がビル内を流れていく過程、人質だけを液体が包み込み共に流れていき、そして――
――液体はどばぁっとビルの入口から洪水のように流れ出てくる。
野次馬たちが、流れ出てきた黒い液体、その気持ち悪さに絶句する。
しかしその液体が地面のコンクリートへと浸透して消えていき、その中から手足を縛られていた人質が無傷で現われた時、
「おぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
野次馬達から歓声が上がった。
人質達の家族だろうが、数十人かが一斉に彼らのもとへと駆けていく、警官隊のロープを超えて。
「ちょ、ちょっと待ってください!皆さん!危険ですから下がってください!」
先程の総司令含め、警官達が叫ぶ。叫びつつも、負傷した人質を担架に乗せる。
私は、そんな彼らの頭に告げる。
『さぁぁぁぁぁぁ!さっさと人をビルから遠ざけなさぁぁぁぁぁい!!そろそろやるわよぉぉぉぉ!!』
「っ、早く遠ざけろ!!
少し待て!すぐ終える!」
遠ざけ始める。人が離れていく。
さぁさぁさぁ!そろそろいいかなぁぁぁ!!
私は、ビル内に残った犯人グループ達に目を移す。
皆、慄いている。
「ぁっ……ぅあ……ぁあ……」
突如襲い掛かってきた黒い液体、自らの体を覆ってそして何事もなく流れ去っていったそれに慄き、ただ呆然と床に座り込んで喘(あえ)いでいた。
つまらないわねぇ、もうおしまい?
私は翼をはばたかせて宙を舞い、ビルに近づく。
犯人グループの大半が集っていた部屋、その窓から、中を覗き込む。
私の背の巨大な漆黒の翼、それが窓からの光が完全に遮断し、部屋に異様な影が落ちる。
それによって、彼らは私の存在に気付いた。
「ひ、ひぃぃぃぃぃ!!」
一斉に悲鳴を上げ、そして部屋の奥へと這いながら後ずさっていく。
彼らの表情は皆全て、恐怖に歪んでいた。
きゃはは、さぁさぁぁぁ、ここでやったらすごいことになるわよぉぉぉぉぉ!!
私はにやりと口元を歪め、
「きゃはははははははははははは!!」
狂った笑いと共に腕を壁を突き抜けてビル内にねじ込んだ――
その瞬間――
パァァァァァッン!!
銃声。
「……ぁ」
私の左胸が……爆(は)ぜた……
左胸から肩にかけての肉が……腕ごと……吹き飛んでいた……
「がっ!」
大きくのけぞる。
痛い……痛い……痛い……。撃たれた。
犯人グループの一人が……ライフル銃を……私に向けている………。銃口からは……煙が立っている……
あいつ、私を、撃った。
「ぁあ……ぅぁ……っぁ……」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
くそぅくそぅくそぅ。
そ、そんなことしてぇぇぇ…………いいのかしらぁぁぁぁぁぁっ!!
「……ははっ……きゃはっ……」
乾いた声で、笑う。
同時、力が、爆ぜてなくなった私の左胸に、流れ込む……
「きゃっ……はっ……」
――一瞬のもと、私の左胸は再生した。
痛みも消えた。
どう……かしら?
「きゃはは?」
無邪気に、彼らに笑ってみせる。
私を撃った男は、その私の様子に、驚愕に顔を歪めそして、
「ぁあ……うぁぁ……ぁっ……あぁぁぁぁぁぁぁ!!」
発狂、私に銃を乱射した。
しかしもうそんなものは私には効かない。
私が手を前に差し出せば、銃弾は私に近づく前に全て燃え出し蒸発する。
「ひっ……ぅあ……ぁ……」
慄く男、私はそいつをひと睨みする。
途端、バキィッとライフル銃が真っ二つに折れた。
私に抵抗する術(すべ)を失い、彼はへなへなと床に座り込んだ。
……これで邪魔者はいなくなった。
「きゃははははははははは!!」
私は飛翔する、漆黒の翼をはばたかせ……
ビルを越えて、更に上へ上へ……
――私はビルを見下ろした。
さぁぁぁぁぁぁぁ!!いくわよぉぉぉぉ!!本日のメインイベント!!
犯人グループに占拠された、大手企業の本社ビル。
「きゃはははははははははは!!
本日の報酬ぅぅぅぅぅぅぅ!!」
そう、私の報酬だ。日本政府に、雇われている、私の――破壊衝動を持つ私の、悪魔への、報酬。
……このビル、丸ごと破壊してやる。
体中に沸いてくる力を、両腕に流し込む。
その両腕を、眼下のビルに、差し出す。
狙いを定める……
そして――
「きゃはっ――いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
――放った。
私の腕から冷気が噴出する。一瞬にしてビル全体が凍りつく。外も、内も、全て……
一瞬にして、ビルが巨大な氷の柱と化した。
「きゃはっ……きゃはははははははは!!」
……でもぉぉぉ、まだまだこれだけじゃないわよぉぉぉぉぉ!!
再度、腕に力を流し込む。今度は腕の先、右の手のひらに……
力を溜(た)めて、大きく手のひらを開き、そして、
「きゃはははははは……――
――フィニィィィィィィッシュ!!」
握った。
――力を放った。
ビルが、砕けた。氷付けのビルが、一瞬で、砕け散った。
崩壊、した。
「きゃは……きゃははははははははははは!!」
気持ちいい……気持ちいいわぁぁぁぁぁぁ!!
自らの体が力で満たされて、それら全てが体外に放射される感覚。最高に気持ちがいい。
バラバラと崩れ落ちていくさっきまではビルだった氷の塊、それを望みながら、感じる。
破壊衝動を持つ私が、最高に気持ちいいと思える一瞬だ。
……あぁ、下の人達はもちろん無事。残骸は全て真下に落ちるように調整しているから。
それと、犯人は――
全員宙に浮かしてある。体を透明な泡で包み込んでね。もちろんちゃんと生きている、あまりの恐怖にみんな気絶しているけど。
パチンと私が指を鳴らせば、泡は割れて彼らは地面へと落ちていく。下には先程の氷が溶けてできた水たまりがあって、そこにバチャンと着水させる。少しだけスピードは落としてね。
駆け寄った警官隊が、彼らを捕縛していった。
――これら全て、一瞬のうちの出来事。
呆然と見ていた野次馬達は、
「うぉぉぉぉぉ!!すげぇぇぇぇ!さすが悪魔!」
「わぁぁぁぁぁ!!助かったわ!ありがとう!」
「よくやった悪魔ぁぁぁぁ!!次も頼むぜぇぇぇぇ!!」
やっとのこと、私に拍手と喝采を送る。
「『きゃはっ……きゃはははははははは!!
確かに報酬はいただいたわよぉぉぉ!!』」
叫びつつ、同時に総司令に念を送る。
「……あぁ、ご苦労。また派手にやりやがって。
まぁいい、帰れ。後のことはいつも通り私達がやる」
『言われなくても帰るわぁ!じゃぁ、また呼んでねぇ!思いっきり破壊してあげるからぁぁぁぁ!!』
まだまだ納まらぬ高揚感に浸りつつ、私は崩れ落ちた氷の残骸と群がり騒ぎ立てる人達を背に、漆黒の翼はばたかせその場から飛び去る――
「ちょっと待て!」
『……なによ?』
――前に総司令に呼び止められた。
「首相がお前と話がしたいと言っている。
週末の土曜一七時に首相官邸でお待ちだ。時間を空けておけ」
『勝手ね。そっちが呼び出しておいて。……まぁいいわ、空けといてあげる』
「時間には遅れるな。
……それともう一つ、これは忠告だが……」
『……なによ?』
「お前、これからは少し身をわきまえろ。
聞こえているだろう、お前の聴力なら。私には、聞こえるぞ。群集に紛れて、お前への非難の声がな」
私への、非難の言葉。
『……えぇ、さっきから、聞こえているわ』
ビルまで破壊して何になるのか、とかいうことを、企業の人間なんかは嘆いている。人でなし、とか、純粋に私に怯えている者、泣きじゃくる子供を腕に抱えてね。
そしてあるものは、こう呟いていた。
1999年……ノストラダムスの予言している……人類の滅亡を招くのは……あいつに違いない……
――なんていうことを。
『聞こえている、だからなんだって言うのかしら?私は好きなようにやる、それだけよ。別にあなた達や日本国民の言いなりになるつもりなんてないんだから』
これは……本心だ。
「ふん、そうか。しかし確かに忠告しておいたぞ。
ではな」
『ばいばぁい』
私は飛翔する。大都会、東京の上空、夜空を。
人類の滅亡を招くのが私、だって?そんな馬鹿なことを。確かに、私は悪魔だけど……
……人(ひと)一人とて殺せない、そんな悪魔なのよ……
……戯言よ。聞き流せばいいわ。
そう思って、私は、
「きゃはははははははは!!」
狂った笑いを東京中に響かせる。だけど――
いつのまにか私からは高揚感が消えていた。
時は1999年。
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