嵐の前

 私は悪魔だ。
 万能の力と、そして、破壊衝動を持つ悪魔。 
 破壊衝動、それ故昔から、多くのものを破壊してきた。
 民家や教会を始め、領主の館、歴史的建造物、山そのものまで破壊したこともあった。
 全て、私の内にある破壊衝動の赴くままに、だ。
 そしてそれは同時に、人間をも破壊する行為であったのだ。建物の崩壊と共に、中にいた人は、死ぬ。これは当然のことだ。
 しかし私は、その人が死ぬということを別に何とも感じていなかった。むしろ、死、ということさえも何なのかわからなかったのかも知れない。
 ――私は、殺戮の悪魔として恐れられていた。
 
 時は十七世紀。民衆の間で魔女狩りが再興された。
 十六世紀に教会によって行われた魔女狩りでは、教会は私のあまりの恐ろしさに結局手を出すことができなかったのだが、今回、魔女狩りを行ったのは飢餓や恐怖政治に苦しむ民衆だ。
 彼らは恐れなどというものはとっくに捨て去っていた。
 私を殺そうとし、しかし私の力の前ではそんなことはできず、私と彼らとの間で睨み合いが続いていた。
 そんな折だ。
 私は村の領主の屋敷に呼ばれた。罠だとは一目瞭然であったが、別にその程度でどうにかなる体ではなかったので、敢えて了承した。
 屋敷に入り、私は執事に地下の一室へと案内される。
 ……そこで起きた出来事は、私の人生を大きく変えた……
 それは今でも、悪夢として私を蝕み続けている……

 木張りの扉を開けると、私の鼻をむぅっとした熱気が襲った。それは一瞬の後――
「ぅ……うぇぇ……」
 死臭へと変わった。
 な、なに……これ……
 知らない匂い……嗅いだことのない匂い……
 だけど私は、それが、血と肉の匂いであることが……わかった。
「ふっ……ははっ……はっ……
 よく来たな……悪魔」
 石張りの部屋、その奥に、村の領主が立っていた。悪鬼のように顔を歪めて、狂ったような笑い声を漏らして……
 そして、彼の足元には――
 ――無数の、刻まれた赤い塊が……
「ひ、ひぃぃぃっ……!」
 私は思わず悲鳴を漏らした。
 な……なんなの……これは一体……
 先程の匂い……血と、肉の匂いは……この目の前の塊から放たれている……
 ぅ……ぅぇ……っぇ……
 気持ち……悪い……
 吐き気をもよおして、口を、覆う。なんとか抑えて、私は、目の前の男に問うた。
「な……なんなのよ……これは……?」
「……何……だと……?
……ふっふっ、悪魔、教えてやろう。これは、人間の、死体だ」
「死体……って……あの……冷たくて……硬くて……棺桶に入れたりする……あの人型の……。そ、そんな……こんな肉の塊、こんなのとは違う……。あれは……もっとちゃんと人の形をしていた……」
「……?
 悪魔……何を言っている……?死体が全てそんなに綺麗なものであるはずないだろう……
 ふっふっ……。この死体……人間はな……私が切り刻んで殺したのだ……。もとが誰だかわからぬほどにな……」
 ……ぇっ?に、人間……?これが……もともと……人間……?
 そ、そんな……
 信じがたい。
 ……でも、よく見たら……肉塊には幾片かの布の切れ端が付着している……
 そして……あの肉塊には……黒いちぢれた糸のようなものが無数……
 人間の着ていた服と、そして、髪の毛……だ……
 この塊は……もとは人間だった……
 ――それがわかった途端、
「ひっ……ひぃぃぃっ……!」
私は再度、慄いた。
「悪魔……お前が悪いんだ……。お前を殺せぬから……村の者はいつまでも気が治まらず……あげく……私にも刃を向けてきやがった……。悪魔……お前だっていつ我々を憎みあげくに村を全滅させるか!……わかったものじゃない……
 だからな……私はこう考えた。
 お前さえ……死んだと村の者に思わせれば……よいのだ……とな……
 ――私は娘を殺し、その死体を切り刻み、誰だかわからぬようにした。そしてこの死体をお前だと言って村の者に見せればいい。娘は……お前に殺されたと言ってな……
 あとは……お前がこの村から出て行けばいいだけだ……
 どうだ……素晴らしい策だろう……。ふふっ……ははっ……はははははははははははは!!」
 狂喜に顔を歪め、男は笑い叫んだ。
 ――ひどい……ひどすぎる……
 そんな……そんなことのために……人を、しかも自分の娘を……殺して……こんな……滅茶苦茶にして……切り刻んで……。これじゃあお墓にも入れてあげられない……。もとが人だったって思ってももらえない……。こんな……ひどい殺し方じゃ……
 涙が、出てきた。
「……ひどい、ひどすぎるわよ……」
 私は、思わず呟いていた。
 それを彼が聞いた――途端、
「……な?なんだと……貴様……ひどい……だと……?」
彼は眉を引きつらせ、そして――
「黙れ悪魔!!」
 激昂した。
「ぇっ!?」
「ひどいだと!悪魔!お前がやっていることに比べれば!こんなこと……こんなことまだ生(なま)ぬるいわ!!」
「……ぇ……」
 なに……なんのことよ……?
 私は泣きやんだ。唖然として彼を見やる。
「わ、私が……こんな……ひどいことを……してるって言うの……?」
「そうだ!悪魔!お前はいつも……人間をまるで虫のように殺す!ぐちゃぐちゃに、めちゃくちゃに……ひどすぎる!この死体以上に……」
「そ……そんなの嘘っ!私は……だって私は……建物を壊(こわ)しているだけよ!家とか……教会とか……それだけよ!人なんて……そのついでよ……。そんな……こんなひどい殺し方していない!していないわ!!あなたみたいに……こんなひどい殺し方!!こんなこと……絶対にしない……しないわよ……こんなひどいこと……」
 涙が……再度流れて出てくる……視界が……歪んでいく……何も……わからなくなる……
「何を……馬鹿なことを……
 …………そうか、悪魔、貴様は知らぬのだな……。そうだよな!外からではわかるまい!崩された建物の中にいる人間が……どれだけ悲惨な死に方をしているかを……
 瓦礫につぶされ……腸(はらわた)をぶちまけて……暗闇に閉じ込められて……助けを求めても……周りは瓦礫に埋められていて……光なんて見えず……ただ痛みのみを感じて……一人孤独に……恐怖と共に……死んでゆく……
 貴様がやっていることは……こういうことなんだよ!」
「……ぇ……うそ……うそ……そんなの嘘よ!だって私……私……そんなの――」
「見たことない!!そうだろうな!!お前はどうせ崩れていく瓦礫にしか目がいっていないのだろう!!人なんか……ゴミ以下で……眼中にないのだからな!!
 だからあんな風に人を殺せるんだよ!!ひどい……ひどすぎるんだよ貴様は!!」
「……やめて……やめて……やめて!」
 何も……わからなくなる……
 目の前の……めちゃくちゃの……肉塊……これは……人……私も……こんな風に……人を殺す……
 そんなの……そんなの……!!
 ――力が、私の体内で、暴れだす。
「何がやめろだ!これは真実だ!貴様は、殺戮の悪魔だ!!」
「――いや!!いやぁぁぁ!!嘘!そんなの嘘!嫌よ!!こんなの……目の前のこんな……ひどい肉塊……人の……死体……こんな風に……してるなんて……いやっ!!絶対に……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 ――チャッ!!
「!?」
 ……な……なに……この音……
 何が……つぶれる音……。液体が……飛び散る音……
 涙で滲む視界の中……私は顔を上げて……そして――
 見た。
 男が……壁に……吹き飛ばされて……叩きつけられていた……。そしてそのまま……くっついていた……
 肉が裂けはじけて血が吹き出して体がぐちゃぐちゃになって骨がつきだしていてまるで……先程の死体のようにめちゃくちゃになって……壁にそのままくっついていた……
 私の……力によって……
 私は……人を……殺した……
「ぁ……ぁ……」
 私は、ただ、その光景を見て、絶句する。
 自らのやってしまったことが……あまりに……理解できずに……ただ……呆然として……
 そして――
「ぁ……ぅあ……そ、そんな……そんな…………私が……ぅっ……やったの……ぇっ……こ、こんな……ひどいこと……――」
「そうだ」
「……ぁ……」
 目の前の……男が……喋った……。その、間違いなく死んでいるであろうぐちゃぐちゃの体で……
「これが……証拠だ……お前は……こういう風に……人を殺すのだ……」
 言って、彼は、笑った。同時――
体が……崩れ落ちた……。バラバラの……肉塊となって……
「………………」
 ぁっ……いや……ぁっ……ぅあ……ぁ……
 私はしばし呆然として――
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 絶叫した。そしてそのまま、気絶した。

 目覚めた時、
 私は絶対に人を殺さない、
 と誓った。

 今でも私はこの悪夢に蝕まれている。
 だからこそ私は、絶対に人を殺さない。
 たとえ建物を壊しても。たとえ、破壊衝動が、私の内に存在し続けていても……
 そしてたとえ……それが抑えられなくなったとしても……絶対に……


                  
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