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| まだ夜は明けぬ。 闇があらゆる生命の営みを阻み、風があらゆる命の灯火を奪っていく。何より、この体に纏わりつく、黒く重たい空気は何であろうか。……果たして、何かが起こる前触れだとでも言うのだろうか。 博麗神社から大結界沿いにしばし進むと、そこには険しい渓谷が広がっている。人間はおろか、妖怪さえほとんど寄り付かぬ厳しい気候条件のそこは、博麗のそれには劣るものの、幻想郷の内と外を断つ結界の役割を確かに果たしている。 そこにメイリンの姿はあった。橙達から、妖夢達がここに向かったと聞いて子供達を探しに来たのである。先刻、ルナサにやられた傷はまだほとんど癒えていない。チルノではないが、私こそ行っても何もできないのではないか、とも思った。だが彼女は行った。いや、行かねばならぬと思った。 (チルノの役目が幻想郷を守ることなら、私の役目は彼女を支えること――私の大切な家族を守ること!) 深い闇、吹きしく風の中をメイリンは進む。しばし行くと、何やら闇の向こうに点在する光の束を見つけた。あれは敵の野営地か、それとも罠か、それとも、まさか人為をも、妖怪の為さえも越えた、超常的な力の具現化されたものであろうか。彼女は硬く拳を握り締めた後、意を決して近づいていく。 だがそこにあった、いや、いたのは、何と今まさに彼女が探し求めていたそれであったのである。 「妹様……みんな!?」 渓谷の内でも比較的平地であるそこに、彼女らは纏まって佇立していた。メイリンは我を忘れて駆け寄っていく。……いやはや、敵の何たらとかいうのは、もう忘れてしまっているのであろうか。 「良かった!妹様、みんな、ご無事で――」 フランドールの肩に触れるか否かのその時である。ようやく、というか否応無しにメイリンが彼女らの異変に気付かされるのは。突如フランドールがその吸血鬼たる鋭い爪をもってして、メイリンの体を横薙ぎに切り裂かんとしたのである。もちろん、彼女は寸での所で後方に飛び退いてかわしている。 「妹様……みんな……?」 またも、その時になってようやく彼女は気付くのである。まるで無機物のそれであるかのようにメイリンを凝視し続ける彼女らの瞳、その一つ一つ全てが、怪しげな桜色の光を放っていることに。 さて、視点は変わり、メイリンや子供達のいる場所からは少しばかり離れた、博麗大結界付近である。 「何やってるのかな?」 先程から大結界付近を右往左往しているプリズムリバー三姉妹の前に、ご存知八雲紫が式、とそのまた式、藍と橙が現れる。 「またまたとぼけちゃって〜、お嬢様はこの向こうにいるんでしょ〜」 「何故?」 「幻想郷中を探し回ったのにお嬢様はいなかった、ということはもうここしかないのよね」 橙がぷっと吹き出す。 「幻想郷中探し回ったんだって、ご苦労様。でも残念」 「はずれだね」 「私達も知らないんだよー」 べーっと舌を出しておちょくる橙。 「……要するに紫からの信用ゼロってこと……役に立たないわね」 え、そうなの、そうなの藍様、と今度はうろたえる橙。全く、表情のコロコロ変わる騒がしい猫又である。藍は(実は内心彼女も少々うろたえてはいたのだが)、一つ咳払いをして橙を落ち着かせた後、お前達の好き勝手にはさせまいと、二人して鋭い爪を三姉妹に向けた。 さて、またも視点を変えさせてもらい、ここは渓谷の内でも殊更高所である切り立った崖の上である。吹きしく風が、何故かここでは止んでいた。明らかに人為、妖怪の為のかかったそれは、まさに嵐の前の静けさの如く、異様な重圧を紫に課していた。 「紫様、まだ協力する気にはなって下さらないのですか。幽々子様は我が主、そしてあなたの旧友、それを失った悲しみは、あなたも私も同じ程だと思っているのに」 「……妖夢、そんなことをしてもあなたの、私の悲しみは消えないわ。いや、むしろ更に深い悲しみに苛まれるだけ。幽々子は、もうあなたの知っている幽々子ではないのよ」 「……今更、それが何だって言うのですか」 「……」 「知っていますよ。私だってむざむざ幻想郷に降りてきた訳ではない。人づてに聞いています。幽々子様が、例え原因があなたやチルノにあるとしても、幽々子様が幻想郷でどれだけ酷いことをしてきたか。どれだけの命を奪い、どれだけの人妖を不幸にしてきたか。知っていますよ、そのくらい。 でも、例えどんなに変わってしまおうとも、幽々子様は幽々子様、我が主です。私は一生あの人に付いていく。あの人が命じるならば、例えそれがどんなに道を外れたことであろうとも、私はやります」 「……妖夢、聞きなさい。 幻想郷は一度、確かに幽々子を拒んだ。私達妖怪にとっても、あなた達霊にとっても、幻想郷は無くてはならないもの。故に私達は、その理に従わなければならない。今のままの幽々子では、例え何度戻って来ようともその度に幻想郷に拒まれ続けるわ。それでは、私達にとっても、彼女にとっても、悲しみが増していくだけ。幽々子は、六道輪廻の理に従い魂の浄化を待つのが一番良いの……」 「……それは、幽々子様を隠した言い訳ですか。本当に、それがあなたの本心なのですか」 「……私にとって、幻想郷の理は絶対よ」 そう、ですか、と妖夢は静かに目を閉じた。そして次に開けられた時、彼女の瞳はもう紫に向けられていなかった。 「なら、私はそんな幻想郷いらない」 渓谷に激しい風が戻る。紫が異様な力の発現を感じてブランケットの下で目を剥く。妖夢の腕が桜色に燦然と輝き、そして彼女はその腕を暗雲取り巻く空へと向けた。 渓谷内にいた者は誰もが、例えばメイリン、藍、橙は、自分達のすぐ近くに巨大な雷が落ちたのかと思った。轟音、閃光と共に、突如漆黒の空から振ってきた二本の大太刀が、硬い岩盤でできた地面を貫き、突き立ったのである。 プリズムリバー三姉妹に立ち向かわんとしていた橙は、思わず飛び上がって主に抱きついた。 「にゃー!?藍さまかみなり!かみなり怖いー!!」 「痛い痛い!橙爪立ってる!今はそれどころじゃないだろ――!?」 二本の大太刀の周りに桜色の花びらのようなものが舞い始める。それは徐々に人の形を模していき、そうしてその中から現れたのは、何百年生きたら得られるのかと思われる程の貫禄と、そして魂魄妖夢同様白き人魂を携えた、一人の老剣士である。藍もまた紫同様目を剥く。彼女も彼、その老剣士を知っていたのである。 (魂魄妖忌殿……!!) 彼は何十年も前から行方をくらましているはずである。今目の前にいるのは、妖夢の集めた西行妖の力により、彼女の記憶の中の彼が具現化されたものである。その証拠に老剣士の瞳には、鋭い眼光こそあれ光自体は全く宿していなかったのである。藍も、恐らく彼は妖夢の記憶が創りだしたものだろうとはわかっていた。だが、彼女は次のことも理解していたのである。妖夢の記憶の中の彼、いや、藍自身の記憶の中の彼ですら、弟子である魂魄妖夢のそれを遥かにしのぐ程の実力を有していることを。 「ぇ?何、藍さま?」 「……逃げるぞ……橙……」 藍は思わずそう呟いた。その彼が、博麗大結界に向けて、岩盤から易々と引き抜いた大太刀二本を構えたのである。その太刀に、藍でさえすぐには計算できない程多量の妖力が収束してゆく。そして、彼の光の無いその瞳には、当然感情の一欠片でさえも宿っていないのである。 そんな老剣士の様子は、橙達同様、メイリンからも見て取れた。当然、このまま彼があれだけの妖力を結界にぶつければ、それに巻き込まれる自分もただでは済まないこともわかっていた。だが彼女の背には、妖夢達の操り人形となっているフランドールや子供達がいるのである。彼女らを置いて逃げるなどできる訳がなかった。 どうすれば良いか、彼女は一瞬だけ惑う。フランドールは鋭い爪を光らせゆっくりと近づいてきている。老剣士の大太刀への妖力の収束は、もはや極限にまで達している。彼女には一刻の猶予もないのである。 メイリンは、体中の気を搾り出し腕に集約、そこから、それを自らと子供達を包むようなドーム型に展開させる。同時に、襲い来るフランドールを、彼女は腹部の一部を割かれながらも片腕で抱き留めた。 「妹様……正気に戻って下さい……」 老剣士が大太刀を振り下ろす。収束していた莫大な量の妖力が、ただただ全てを破壊する力となって一気に発散する。渓谷全体が凄まじい爆音と爆風で轟いた。 |