
3
| 春風が草花を揺らし、暖かな陽光が降り注ぐ高原。 かーかー。その光景に似つかわしくもなく、一羽のカラスが飛んできて何やら足につけていたものを地面に落とした。小さく丸められた筒状のそれを、少女が、背中に何本もの重厚な剣を提げた少女が受け取り、開く。それにはこう書かれている。チルノへ、紅美鈴より。 『チルノ、元気にしてる? 橙から仕事の依頼だよ。下記の場所に至急来てくれって。お願いね。 P.S.お嬢様と妹様に、顔くらい見せに来なさいよ』 (……何が来なさいよ!そんなのあたいの勝手でしょ!) その少女、冷気を自在に繰る氷精、チルノは、手紙のうち取引場所の示された部分だけを千切り取り、残りをくちゃくちゃに丸めて捨てた。と思われたが、その前にもう一度だけ開き、中に書かれたメイリンの筆跡をゆっくりと目でなぞった。 かー……。かー……。カラスは青空の向こうに消えていく。春風が草花を揺らし、暖かな陽光が降り注ぐ。 「……っと」 思わず船を漕ぎそうになるのを、チルノは首をぶんぶんと振り、頬をぱちぱちと叩くことでしのいだ。その後、取引場所の示された箇所にぱっとだけ目を通す。 橙からの依頼、ということは八雲絡みか、受けたくないな。 (……でも、レミリアや、フラン、……メイリンの顔を見るよりはまし) 幸い、指定された場所はすぐ近くである。彼女は地を蹴り浮遊し、そして、高原の澄んだ空を、その色とほぼ同化する蒼い軌跡となって飛翔した。 彼女のいる高原は山と山の連なる境に存在する。もとより、幻想郷のある島国は山の多い土地である。さて、その高原に近接する切り立った峰の上で、何やら四つの人影と、三つの何らかの楽器のシルエットが、宙を滑空するチルノを見下ろしている。 「あ、チルノちゃん見っけ」 三つの楽器のうち一つ、キーボードを繰る茶髪の少女の言葉である。 「お嬢様、一緒にいるのかなぁ」 トランペットを操る空色の髪の少女である。 「……どうかしら。……妖夢ちゃん、どうする?」 ヴァイオリンを操る金髪の少女である。 皆一様に自らの楽器を中空で自在に操り、それぞれ順に赤、白、黒のロングドレススーツを纏い、まるでオーケストラ奏者のような出で立ちをしている。だが、その中で一人異色、中空には浮遊する人魂を携え、二本の刀を得物とする和風の少女がある。妖夢、とヴァイオリン奏者から呼ばれたその少女は、しばし逡巡した後、 「ルナサさん、メルランさん、リリカさん、お願いします」 と頭を垂れた。 「……妖夢ちゃんはいいの?」 そう聞いたのは、ルナサと呼ばれたヴァイオリンの駆り手である。彼女は妖夢が首を縦に振るのを確認してから、トランペット奏者であるメルラン、キーボード奏者であるリリカを伴い、突如峰から飛び降りた。下は先程チルノのいた高原である。そのまま彼女らは、高原の草花を薙ぐ一陣の風となって飛行する。 チルノは、飛翔を始めてから程なくして自らの後を追ってくる三人の存在に気が付いた。言わずもがな、ルナサ、メルラン、リリカ、通称プリズムリバー三姉妹である。彼女らは弾幕を放つ際に、思い思いの音、騒音を奏でる。チルノが彼女らの存在に気付くのも当然の帰結である。 彼女は背中に提げる重厚な大剣六本のうち、一本をすぐさま抜き取り構える。しかし、既に姉妹三人分の濃密な弾幕は、彼女の背後にまで迫ってきている。避けきれるものは避け、避けきれぬものは大剣で弾く。その間、三姉妹はチルノとほぼ並走するまでに距離を詰めていた。 「いきなり何すんのよ!あんたたち!」 「チルノちゃん、お嬢様はどこ?」 「何!?お嬢様って、まさかレミリアのことじゃないでしょうね!」 「とぼけちゃって〜、怪しいわね」 「は?何言ってんのバッカじゃないの!!」 強気な言葉を吐くが、側方からはリリカ、メルランの弾幕、後方からはルナサの弾幕を受けては、劣勢なのはチルノの方と遥か遠く峰に立つ妖夢から見てもわかる。 「……紫様」 妖夢の言葉である。 「どうせスキマで見ているんでしょう?……私達を騙しましたね。 ……直接話がしたい。近いうちにお伺いします」 さて、ようやく弾幕を抜け切るチルノだが、巧みにも、その出口には弾幕で死角となるようにリリカのキーボードが配置されていた。気付いた彼女はとっさに大剣でそれを叩っ斬ろうとするも、がくりと、何故か唐突な睡魔に襲われ体勢を崩してしまう。 (……こんな時に!) 何とか立て直すも時既に遅い。キーボードから放たれた衝撃波で彼女の大剣は遥か遠方まで弾き飛ばされ、更にはいつのまにやら前方に配置されていたメルランのトランペットから、極太のレーザーが発射されていたのである。かろうじてかわすも、その熱だけでチルノは頬に切り傷の如き火傷を負い、飛行の体勢も崩されて地面を幾度となく転がる羽目となる。 (……このっ!女の子の顔に何するのよ!) 転がる勢いを利用して間髪置かず立ち上がり、同時に背から今度は二本の大剣を抜き取らんとする。だが既に、メルラン、リリカの弾幕は、彼女の周りを三百六十度取り囲んでいる。 チルノが被弾するのが早いか、大剣を抜くのが早いか、その時である。 「メルラン!リリカ!」 ルナサの声と共に、弾幕がまるでシャボン玉のように弾けて消えた。二人はふふ、あははと笑う。 「またねぇ〜、チルノちゃん」 「バイバイ」 そうして、ルナサも含めて、唐突に三姉妹は去っていく。チルノはその時初めて、遥か遠方の峰にて自らを睥睨する、二本の刀の少女に気付いた。彼女もまた、チルノに背を向けそこから去っていった。 高原に静けさと穏やかさが戻る。 「……このっ!一体何なのよあんた達っ!!」 残念だが、春風は答えてはくれまい。 至急来てくれと、橙がメイリンに言ったらしい。指定された場所は、少しばかり分け入った山間の、こぢんまりとしたお屋敷であった。典型的な良家の日本家屋の風体である。 庭を横切り引き戸を開いて早々、鋭い何かがきらりと光りチルノを襲う。当然、チルノは背中の大剣を抜いてそれを受け止める訳である。ちなみに受け止めたのは、鋭いながらも小さくて可愛い爪である。 「そっちから呼んどいて、ごあいさつね」 鋭い爪、獣耳、そして二本の尻尾の持ち主である猫又、橙は、にたと笑った。そして掛け声吶喊、まさに猫の如く飛び掛かってくる。が、チルノはわずかに体をひねって回避、 「にゃー!?」 橙は勢い余って外に飛び出てしまう。がらがらぴしゃ。これはチルノが引き戸を閉めた音である。 「さすがだね、チルノ」 がこん。ちなみにこれはその戸にかんぬきを掛けた音である。 橙を軽くあしらったかと思えば、次に廊下の奥から現れたのは、鋭い爪、獣耳、ただし橙のものより一回り大きい、そして九つの金色の尾の持ち主、妖狐、八雲藍である。 「藍様、かっこいー!」 外からの橙の言葉である。藍も橙同様パンツスーツ姿で、それも後者のように気崩している訳でもなく、何より長身であるため確かに様になってはいるが、日本家屋の中とあっては折角のそれも不調和甚だしい。それはさておき。 「何、やる気?あんたらは礼儀ってものを知らないんじゃない?」 「お前に言われたくはない、ね!」 藍は語尾の調子を強めると同時に九つの尾を一斉に標的へと向けるが、その一瞬前から既に、チルノは彼女の胸に大剣を突きつけていた。たまらず顔をしかめ後ずさりする妖狐八雲藍である。 「さすが、腕は落ちていないようね、チルノ」 「……?」 何やら聞き覚えのある、しかし、聞こえるはずは無い声。それに、チルノは思わず眉をひそめる。 唐突に奥の障子が開き、そこから出てきたのは、真っ白なスーツに身を包み、体のあちこちに白い包帯を巻き、更にその上から白いブランケットで顔をも覆った、何とも面妖な女性であった。その彼女は更に面妖にも、何やら黒い物体とも黒い空間とも言えぬ不可思議なものに座って浮遊している。さすがにお馬鹿なチルノも、この奇異な佇まいは覚えているようである。 「……あんた、紫(ゆかり)なの?」 女性は、唯一隠れていない口元を緩ませ、ふふと笑った。 紫、結界師八雲紫。彼女ははチルノの記憶が正しければ、二年前の運命の日の少し前、幻想郷の危機に瀕して現れた幻想郷の断罪者、幽香によって、マヨヒガごと消滅させられたはずであった。 (生きていたのね、まぁあたいには全然関係ないけど) 紫はまだ、ふふと口元を緩ませている。 「私はあの時――」 「あたいに何の用?」 「幽香の攻撃を受ける瞬間――」 「あたいを襲った奴らは何?」 「スキマで――」 「帰るわよ!」 紫はしゃべるのをやめた。藍が、バカですから、とチルノに聞こえないよう小声で言った。紫はふぅと一息ついた後、仕方なく本題に入る。 「チルノ、私達に力を貸して欲しい」 「興味ない――」 「私には、幻想郷に対して大きな借りがある。幽々子を、大切な友人をあんな風にしたのも私、幻想郷を、このような無秩序な状態にしてしまったのも私。よって私には、幻想郷のために何かする義務があるわ」 「……当然じゃない」 「ねぇねぇ、そろそろ開けてよー」 外からの橙の声である。紫は構わず続ける。 「その第一歩として、私達は幽々子が幻想郷に残した影響を調べることにしたの」 「無縁塚」 「……」 無縁塚、そこは、あの全ての悪夢の根源、亡霊の姫、西行寺幽々子との最終決戦の地。 「……チルノ、何があったと思う?」 チルノの顔が一瞬死人のように真っ青になったのを、紫と藍は見て取れた。 「……何も」 紫は一瞬間を置く。 「何も無かったわ、安心して」 「……あ、あたいは別に」 そう言いながらも、彼女の体はまだわずかに震えている。紫は、チルノに落ち着くための時間を与えてから再度話し出す。 「でも、予期せぬことが起こったわ。あなたを襲った奴ら、魂魄妖夢の一味よ」 「妖夢……」 多分、あの、最後まであたいを峰から見下ろしていた奴のこと。 「何でも、私達の計画を邪魔するのが目的らしいわ。全く、訳がわからない」 「どうしてあたいが襲われるの」 「えー、だってチルノ橙達の仲間でしょ?」 「あんたに聞いてない」 「妖夢達は、若く、目的のためならあらゆる手段を厭わない。そこで私達は、腕の良いボディガードを雇うことにしたの」 「……別に、あんたならわざわざ他の誰かを頼らなくとも、自分の身は自分で守れるでしょ。ま、あたい程ではないけどね」 「あの日以来、私の力は以前の一割にも満ちていないわ」 「……そんなのあたいの知ったことじゃないわよ」 やっぱり、八雲絡みの依頼何て受けるものじゃない。チルノはかんぬきを上げ引き戸を開けた。橙の、ようやく開いた、という無邪気な顔が否応にも見えた。ふと、チルノにしては珍しく思い出した。 「……お嬢様、って何のことよ?」 「妖夢達が言っていたの?さぁ、あなたの家にいるレミリアちゃんのことじゃなくて? そうそう、そう言えばあなたは今、妖怪や人間の孤児達と一緒に暮らしているそうじゃないの。その子達に、笑顔を取り戻してやりたいとは思わないかしら。 私達の最終目標はね、チルノ、秩序ある幻想郷の再建」 秩序ある幻想郷の再建、それはすなわち、幻想郷の平和を取り戻すということ。幻想郷の平和を、守るということ……。チルノは似つかわしくもなく逡巡する。 「……あたいは……」 「ね、お願いだよチルノ、紫様の結界が支配する幻想郷の再建だよ!」 むかっと、チルノのこめかみに怒りマークが浮かぶのを紫と藍は見た。 「興味ないっ!」 ぴしゃりと引き戸は閉められ、チルノは去っていってしまった。 「橙!」 「橙……」 どうしてそうなったか、訳もわからぬ橙だけがそのまま外に取り残される形となったのは、まぁ、ご愛嬌である。 |